2010年04月13日
故郷(しま)
今日は、日常の話も、仕事の話も無しで昔の懐かしい思い出の記事です。
そう、もろみです。
私自身、沖縄市室川出身で、祖母も、また4年ほど前までは、安慶田で元気に、一人暮らしをしていました。
私は、20代後半から30後半まで、サラリーマンをしていました。
海邦銀行前
当時、南風原に本社を置く某、建機メーカーに勤めていて、本島での社内会議、出張の際には、
私が入社して間もなく退職された私の元上司の自宅も安慶田のオバアの家の近所にある為、
よくそちらの方に部下を連れ、夜中までお邪魔した物です。
(たまの石垣、宮古からの本島出張の為、中部出身の帰宅組みの野郎どもを連れ)
なぜ、諸見なのか、私が生まれる前の昭和の30年代から高校2年の冬、まで、祖父(オジィ)が元気な頃オバァと一緒に
切り盛りしていた、「与那嶺商店」、がありました。
隣の散髪屋さん(ダンパチやー)(家主さん?)もふくめ、建物なども当時のままだけに
静かな住宅街が寂しさを誘う・・・
と、言うのも、
当時は、歩道も無く、歩道が出来てもガードパイプも無く街と一体と言うか、
住居も兼ねたお店で、当時は町、近所、自体がとてもにぎやかで、お店にはいつでも、卸屋さん、お客さん、
暇つぶしにオジイと将棋をさしに来るおじさん達でにぎわってました。

昭和44~45年頃の
にぎやかだった頃の商店の前
ご近所の皆さんと
赤ちゃんの頃の私
家が共稼ぎの為、母の実家である、「与那嶺商店」にいつも
あずけられ、いとこ達も含め、お店のお客さんを始め、近所、地域に育てられて
参りました。今となっては、昭和のいい時代だったと思います。
諸見里は、私にとって、ルーツでもありノスタルジーな場所でもあり
安慶田に次ぐ古里でもあります。
高2の冬にオジイが亡くなり、お店を閉め、
私が結婚、した時、長女が生まれた時、報告に行った、21~23才の頃までそこで住み、その後
は安慶田に引越し一人暮らし。おととしの同じ冬に
94歳で亡くなりました。その命日はちなみに私の39歳の誕生日でもありました。
その間の20年近くの出来事が無かったかの様に
直接記憶が、諸見の頃にリンクします。
島をはなれ、ほんとの島へ移り住んでいる分
それだけ、思い出深い、なつかし街なんですよ・・・ナンチャッテ
Posted by ダイキ at 12:12│Comments(2)
│沖縄市
この記事へのコメント
はじめまして
何気に覗かせて もらっていたら見慣れた風景にびっくり!!
10年ほど前になりますが この近くに勤めていて
毎日の出勤道でした。
その前は百軒通りの近くにも 勤めていたんですよ
時々、飲みにいったりもして。
いやぁ あのころが 懐かしいっす。
何気に覗かせて もらっていたら見慣れた風景にびっくり!!
10年ほど前になりますが この近くに勤めていて
毎日の出勤道でした。
その前は百軒通りの近くにも 勤めていたんですよ
時々、飲みにいったりもして。
いやぁ あのころが 懐かしいっす。
Posted by LOOK at 2010年05月11日 08:46
LOOKさん
コメントありがとうございます。
懐かしがってもらって光栄です。
コメントありがとうございます。
懐かしがってもらって光栄です。
Posted by ダイキ
at 2010年05月12日 00:30
