【PR】

  

Posted by TI-DA at

2013年06月12日

地元の懐かしい場所の写真です

地元の近所の地域です!

いい町ですよ! この界隈・・・





私が子供の当時の室川団地です♪ 
※冗談左が私で、右が邦弘くん
下段の女の子達が、F棟1階の知念3姉妹と従妹の子になります・・・あ~懐かしいイ
  

Posted by ダイキ at 02:38Comments(0)沖縄市

2012年01月26日

室川団地内の

室川団地内にあります。
昔住んでた団地です。
ものごころがついた頃はかわら葺きでした(セメント瓦だったような・・・)

今では営業していないのでしょうか・・・
と言うのも 小学生の頃、団地内には結構商店がありました。
団地入口にあるお店は今でもご健在ですが他にあと三カ所、計五箇所の
時もありました。
そこにはいつも人がいっぱいで、おしゃべりをしているだけのオバサン達や、
私達 子供がいつも とにかく 集合場所は遊び場か 団地入口のお店か、
このお店の前です。




そこで買ったものをお店の前でみんなで飲んだり食べたり・・・
最近ではあまり見かけない光景で チョット寂しい感じがしますね
便利な世の中になりましたが、昭和の頃を思い出しました。  
タグ :室川団地


Posted by ダイキ at 00:28Comments(0)沖縄市

2010年04月13日

故郷(しま)


今日は、日常の話も、仕事の話も無しで昔の懐かしい思い出の記事です。
そう、もろみです。
私自身、沖縄市室川出身で、祖母も、また4年ほど前までは、安慶田で元気に、一人暮らしをしていました。
私は、20代後半から30後半まで、サラリーマンをしていました。

海邦銀行前

当時、南風原に本社を置く某、建機メーカーに勤めていて、本島での社内会議、出張の際には、
私が入社して間もなく退職された私の元上司の自宅も安慶田のオバアの家の近所にある為、
よくそちらの方に部下を連れ、夜中までお邪魔した物です。
(たまの石垣、宮古からの本島出張の為、中部出身の帰宅組みの野郎どもを連れ)
なぜ、諸見なのか、私が生まれる前の昭和の30年代から高校2年の冬、まで、祖父(オジィ)が元気な頃オバァと一緒に
切り盛りしていた、「与那嶺商店」、がありました。



隣の散髪屋さん(ダンパチやー)(家主さん?)もふくめ、建物なども当時のままだけに
静かな住宅街が寂しさを誘う・・・
と、言うのも、
当時は、歩道も無く、歩道が出来てもガードパイプも無く街と一体と言うか、
住居も兼ねたお店で、当時は町、近所、自体がとてもにぎやかで、お店にはいつでも、卸屋さん、お客さん、
暇つぶしにオジイと将棋をさしに来るおじさん達でにぎわってました。

昭和44~45年頃の
にぎやかだった頃の商店の前
ご近所の皆さんと
赤ちゃんの頃の私



  
家が共稼ぎの為、母の実家である、「与那嶺商店」にいつも
あずけられ、いとこ達も含め、お店のお客さんを始め、近所、地域に育てられて
参りました。今となっては、昭和のいい時代だったと思います。
諸見里は、私にとって、ルーツでもありノスタルジーな場所でもあり
安慶田に次ぐ古里でもあります。

高2の冬にオジイが亡くなり、お店を閉め、
私が結婚、した時、長女が生まれた時、報告に行った、21~23才の頃までそこで住み、その後

は安慶田に引越し一人暮らし。おととしの同じ冬に
94歳で亡くなりました。その命日はちなみに私の39歳の誕生日でもありました。
その間の20年近くの出来事が無かったかの様に
直接記憶が、諸見の頃にリンクします。
島をはなれ、ほんとの島へ移り住んでいる分
それだけ、思い出深い、なつかし街なんですよ・・・ナンチャッテ



  
タグ :沖縄市


Posted by ダイキ at 12:12Comments(2)沖縄市